

原木市売市場とは、山で伐採された丸太を製材工場などに売買するいわば「木材のスーパーマーケット」である。3のつく日などの決まった日や決まった曜日に開催される「市」には、売り手と買い手が一同に会する。高度経済成長期には、小規模な森林所有者と小規模な製材工場をつなぐ流通の要として全国に広がり、木材流通の大部分を担うほどであった。
しかし、現代においてその役割が大きく変化している。1990年代半ば以降、国有林のシステム販売や製材工場の大型化が進み、森林所有者と工場が直接取引するケースが増加したことで、原木市売市場経由の流通は全体の3分の1程度まで縮小した。さらに追い打ちをかけるように新型コロナウイルスの影響で木材価格が急騰する「ウッドショック」が世界を襲った。それ以降、徐々に落ち着きを見せているものの今なお不安定な状況が続いており、従来の流通構造は縮小し、木材流通は再編と転換の時代を迎えている。
京都大学 大学院農学研究科 森林・人間関係学研究室に在籍する浦田さんにとって、原木市売市場は単なる研究対象ではない。幼少期から遊び場であり、今も足しげく通う場所だ。自ら丸太を購入するほどの「市場愛」を持つ研究者が見つめる、木材流通の現在と未来を紐解いていく。
浦田 佳彰
うらた よしあき○2002年生まれ。奈良県桜井市出身。
幼少期から地元の原木市場で遊び、小学生の夏休みに作成した木工作品が評価され、市場を運営する市場組合からもらった鉛筆を今も愛用。
京都大学農学部4回生になって森林・人間関係学研究室に進み、原木の流通を専門とし緻密な調査を続ける。
趣味も原木市場巡りで、特別天然記念物のトガサワラの丸太を自費購入。「木が並んでいるところが好き」と語る、生粋の原木市場愛好家。
幼少期の原体験に刻まれた
《原木市場》への想い
浦田さんは「吉野杉」で有名な奈良県の吉野地域の近隣に育ち、休日の原木市場に忍び込んでは、積み上げられた丸太の間を駆け回って遊んでいた。「原木市場と製材工場が街の中心部にあり、近くの子どもたちは自由に遊んでいました。私は木が並んでいる風景が好きで、時間があれば市場に通っていましたね」。
小学生のとき、夏休みの宿題で木工工作に携わった。地元の組合が主催する木工コンクールで受賞、副賞として鉛筆がもらえた。「今でもその時の鉛筆を使っています」。研究室で手にしていた鉛筆には、かすかに「木材協同組合」の文字が残っていた。
京都大学に進学した当初は、生態系や植物の研究に興味があったという。しかし、大学で学んでいくうちに「木材流通を研究対象とできる分野があることを知って、“入りたい”と思いました」と、森林・人間関係学研究室を選んだ。
森林・人間関係学研究室ゼミは、森林所有・森林施業・素材生産の《川上》から、木材の流通・加工、建築や紙需要の《川下》、さらに政策・制度、環境評価まで、幅広い研究をできることが特徴だ。立花教授は、国内の林業・木材産業や木材市場の分析だけでなく、海外の森林政策や林業・木材産業、木材貿易にも精通しており、グローバルな視点から日本の林業を見つめている。原木市売市場が日本と韓国にしか存在しないという教授からの指摘も、こうした比較研究の蓄積から生まれている。
浦田さんの研究にとって決定的だったのは、2021年に起きた「ウッドショック」だ。コロナ禍による外国産材の供給不足で、国内の木材価格までもが急騰。ニュースで頻繁に報じられた木材業界の激変を目の当たりにし、「ウッドショックについて研究したい」と考えた。そして選んだ研究対象は、幼い頃から親しんできた原木市場。「あの場所がどうなっているのか、それを知りたい一心であった。戦後日本で独自発展した市場システムの大きな転換点に、浦田さんが対峙しているのだ。



膨大な伝票記録から、
木材一本一本の物語を読み解く
研究を進めるにあたり浦田さんが向き合ったのは、画面上に整列されたデータセットではなく、市場の事務所に眠る膨大な《紙の伝票》だった。「林野庁のデータは製材工場に入ってくる時の平均価格で、あくまでもサンプリング調査なんです。つまり、市場ごとの違いや、サイズごとの詳細な価格変動はわからない。木材一本一本の個別のデータを見ることで“この市場は価格上昇が早めに始まった”とか、“この市場は高級材を多く扱っている”とか、それぞれの違いが浮かび上がってくるんです」。
市場での調査は多岐にわたる。まず、市に来ている売る側・買う側、それぞれの人数が重要だ。次に、並んでいる丸太の断面をチェックし出荷者の刻印を把握。どこから何本出荷されたかがわかる仕組みだ。刻印は屋号のようなマークで、出荷者ごとに異なる。これは吉野地域ならではの特徴だという。高級材である吉野杉や吉野檜を扱う市場においては、産地を明確にすることが重視されてきた。《顔の見える》取引こそが、地域の木材文化を支えてきたのだ。
そして最も重要なのが《伝票》だ。市場では、競りや入札が行われるたびに、どの生産者が出品した丸太が、どの樹種で、どのような寸法で、誰によって、いくらで落札されたかが詳細に記録される。浦田さんは市場に通い詰め、情報の取捨選択に配慮しながら、これらの伝票を一枚一枚手で書き写してデータ化していった。「1回の市で100ページくらい。必要な部分だけ書き写すので全部ではないんですが、15回分で1,500ページほどになりました。ありがたいことに市場の方がまとめてくださった資料をご提供いただけることもありましたが、基本はアナログの泥臭い作業になりました」。
立花教授は浦田さんの研究を高く評価する。「原木市売市場が公表している平均価格だけでなく、伝票を一つ一つ分析しているのが浦田さんの強みです。まだ分析結果は途中ですが、完成すれば高く評価されるでしょう」。
緻密な調査の結果、いくつかの発見があった。ウッドショック時には、外国産材の代替となる一般材(並材)を多く扱う市場が重要性を増していた。一方、高級な銘木を扱う市場では、価格上昇はあったものの一時的で、長期的な影響は限定的だったのだ。「高級材よりも一般材の方が利益を得られる状況になり、高級材流通に縮小傾向が見られたんです」。
また、市場によって扱う木材の種類や価格帯が大きく異なることも明らかになった。「吉野材といっても、本当の意味での高級な吉野材と、量産型に近い吉野材があります。どちらを集めているかで市場の性格が変わるんです」。
《市場によって木材流通は異なる》結果に手応えを得ていた調査のさなか、1つの市場が廃業した。「閉鎖された市場の原木が別の市場に流れたことで、また流通状況がガラリと変わりました。環境の変化を目の当たりにしました」。膨大な単純作業の果てに、浦田さんの中には木材一本一本に込められた経済と文化の物語が紡がれている。


「まさか丸太を買うとは」
あふれる市場愛と意外な素顔
なぜ原木市場を研究テーマに選んだのですか?
浦田 佳彰(以下 浦田) 子どもの時に近くに原木市場があって、よく遊んでいた原風景があります。研究目的としては、世の中の流通の傾向として、大きな工場が山から直接買うのが主流になっていますが、市場を通して買っている小さな工場も存在しています。その小さな工場にとって、原木市場の存在は大切なんじゃないかと思って研究を始めました。
調査中、特に印象的だったことは?
浦田 市場の方から「昔はもっと人がいたんだよ」と聞きます。原因としては、製材工場の数自体が減っているからだと。それから「今は木を出しても売れない。いい木も昔伐り尽くして今はなくなってしまった」とおっしゃっていました。木材価格も30~40年前の全盛期に比べて3分の1くらいになり、質量ともに以前とは異なっているということです。
ご自身で丸太を買ったそうですね?
浦田 はい、5,000円くらいで買いました。トガサワラという木で、日本では紀伊半島などにしか自生しない珍しい樹種で、天然記念物に指定されている木です。太さが50cm、長さが3m弱で、普通の木材としては使いにくいサイズだったので誰も買わなかった。かわいそうになって、つい落札してしまいました。多分一生会うことのない木だと思って。実家に置いてありますが、家族には「いつかやると思ってた」と呆れられています(笑)。ただ、重くて自力で運べず、市場の方に運んでいただいて申し訳ない思いになりました。
現場に行くからこそわかることはありますか?
浦田 数字だけでは分からない《人の熱気》ですね。例えば、雨の日は皆早く帰りたいのか、競りの進行が早かったりやる気がなさそうだったりします(笑)。逆に、自分では買わないけれど、珍しい木を見るためだけに市場に来ている愛好家のような方もいて、そういう人との会話から昔の市場の様子を知ることもできます。
浦田さんが考える理想の市場の姿とは?
浦田 もっと開かれた場所になってほしいと思っています。今の市場は《プロ同士》の取引の場で、一般の人は入りにくい。でも、岡山県津山市の市場のようにお祭りをしたり屋台が来たり、子どもが見学に来たりするような、地域の人と触れ合える市場があれば、きっと未来につながると思います。木が並んでいるところを見るのは、単純に楽しいですから!

縮小する市場で「商流」の未来を見据え、
過渡期の記録を未来へ
「私の研究が、今すぐ誰かの役に立つわけではないかもしれません」と謙虚に語るが、その視座は数十年の時間軸を見据えている。「この5年くらいの間に木材業界はかなり変わりました。この研究は10年後20年後から見て、なぜこんな風に変わったのかがわかるアーカイブになればいいと思っています」。
実際、原木市場は歴史の中で一度消滅しているという。戦時中の木材統制で、市況によって価格が変わる「競り」が禁止され、すべて国の統制下に置かれたためだ。戦後、市場は復活したが、今また時代の流れによって転換期を迎えている。
立花教授は、原木市売市場の役割が「物流」から「商流」へ拡がるだろうと予測。ゼミでは、こうした木材流通の構造変化を、歴史的・国際的な視点から分析することを重視している。「これからは、物を動かすだけでなく、小規模な森林所有者の木材をまとめて大型工場と交渉する商社的な役割を担うようになるでしょう。物は直接運び、伝票だけを市場が扱う。ヨーロッパの木材販売組合のような形です。銘木や広葉樹、特殊材など、市場でしか扱えないものもありますから、物流としての市場も一定程度残るでしょう」。かつて市場経由がほとんどという状態だった木材流通は、現在では激減している。立花教授は「浦田さんが銘木市場と一般材市場の特徴や違いを明確にできれば、今後の市場のあり方を考える重要な知見になる。いろんな人が引用するような研究になり得る」と期待を寄せている。
さらに、浦田さん自身、研究を通じて地元への貢献も意識している。「地元の人だとアピールすると、市場の方の態度が変わります」と笑う。奈良県の市場関係者にとって、地元で育ち、幼い頃から市場に親しんできた若者の研究は、単なる学術調査以上の意味を持つのだろう。
研究室の本棚には、浦田さんが市場で購入したトガサワラの円盤が飾られている。直径50センチの断面には、樹齢を刻む年輪が刻まれている。木材市場の歴史もまた、時代の年輪を刻みながら、新たな形へと変わろうとしているのだ。「戦時中に一度なくなって復活したように、将来、また木材需要が増えたら、市場が復活するかもしれません。だから今の市場がどう運営されていたかをちゃんと伝えていきたいんです」。
未来の人々が今の木材業界を振り返ったとき、浦田さんによる膨大な伝票データは、失われた、あるいは変化した市場の姿を証明する唯一無二の証言者となるだろう。彼は単に過去を調べているのではない。変わりゆく「木の道」の現在地を杭打ちし、未来への道標を残そうとしているのだ。変化する原木市場のクロニクルとして、浦田さんの歩みは続いていく。



